本11 大本営参謀の情報戦記

これは本 Advent Calendar 2017 - Adventar 11日目の記事です。

陸軍情報参謀であった堀栄三氏の回顧録。日米の戦略思想の差がどのような結果に繋がったのかを書き記しています。

大正10年から日本と戦争をするために準備してきた米国に対して、なんの戦略も持たない日本が勝てるわけがないという一幕が印象に残っています。 米海兵隊のエリス少佐は大正10年に西武太平洋攻略(対日戦争)の作戦構想を海兵隊司令官に提出していました。これに対して日本が対米戦の作戦を立て始めたのは9月6日に御前会議で 決定された「帝国国策遂行要領」が最初だと言われています。9月6日というのは1941年9月6日です。 米国は戦争の始まる20年前から準備を始めていたにもかかわらず、日本はわずか3ヶ月前に対米戦の準備をはじめたというのはよくそんな状況で戦争が出来たなという気持ちでいっぱい。

また、米軍は昭和21年4月『日本陸海軍の情報部について」という調査書を米政府に提出していおり、そのなかで日本の敗因として5項目、挙げています。

  • 国力判断の誤り
  • 制空権の喪失
  • 組織の不統一
  • 作戦第一、情報軽視
  • 精神主義の誇張

現代の日本人、70年の時を経て何も学んでいない。僕はちゃんと歴史に学べるように努力します。