本13 ローマの哲人 セネカの言葉

これは本 Advent Calendar 2016 - Adventar13日目の記事です

半分です。本日は『ローマの哲人 セネカの言葉』です。 『生の短さについて』にせよ、セネカの言葉は読むたびに胸が辛くなります。

どこにでもいる人は、どこにもいない人なのです。

最近どこにでもいる人になりかけていたので、自分のいる場所にいたいです。

所有の少ない人ではなく、渇望の多い人が、貧しいのです。

最近渇望が多くなってきていて、貧しいかもしれない。

友人には君の心配事でも考えでも何でも打ち明けるがいい。君が友人を真に信頼しうるものと思うなら、君は彼をそうゆう人間にするだろう。

大学入ってから人にいろんなことを打ち明けるようになりましたね。なんでだろう。

自分は幸福ではない、と思うものは、幸福ではない。

僕は幸福です。

哲学が教えるのは行動であって、弁論ではない。

ぐうの音も出ない。

よく死ぬとは平然と死ぬこと。

サマーウォーズの栄ばあちゃんだね。目標にしたい。ほかにどんな人がいるだろう。

他人のために役立つことをした人は、自分自身のために役立つことをしたのです。

最近、いろんな人にAmazonでギフト買ったり、人におごったりするのはここらへんの影響かな。あとはコーランになんとなくで人に奢れって書いてあった。

その人の生き方のように人はしゃべる。人の話し方を聞けば、生き方が分かる。

生き方と話し方を考えます。

問題は、君が何を書くかであって、どう書くかではない。それも書くためにではなく、考えるために書けということです。君が君の考えを自分独自のものにし、それに君の刻印を押せるように。誰の話し方であれ、君がそれを神経質に磨かれ遂行されていると認めたら、その著者の心はつまらぬことでいっぱいなのだと思っていい。大きな人物は、何を言うにしろ、ゆったりと自信にあふれた話し方をします。彼が話すことは全て他人への配慮よりも、自己への信頼がひびいています。

今年中には自己への信頼を響かせる話し方を目指します。